「ほめ上手は育て上手」と言われます。
シドニーオリンピックの女子マラソン金メダリストである 高橋 尚子 さんを育てた
小出 義雄 監督、米国メジャーリーガーであるイチロー選手を育てあげたオリックス
仰木 彬 元監督は、ともに「ほめる名人」として知られています。
両監督は、選手たちに厳しい練習を課す一方で、要求したことができた時は、満面の笑顔で選手を褒める。
その笑顔見たさ、褒められたさに、選手たちは頑張ったと言います。
「人は、自分自身のことを価値ある存在だと思いたい」「人は、他人からも自分のことを価値ある存在だと思って欲しいと願っている」、すなわち深層心理で人は自分を認めてもらい、自分の存在価値を確かめたいと言う欲求を生まれながらにして持っています。
これを「自己重要感」といい、人間のもつ感情のうちで最も強いものです。
親が褒めることで、子どもには自信がつきます。
しかし、欠点は目につきやすいのに、長所は見えにくいものです。
ですから、褒める行為には、絶えず子どもに関心を払い、長所を探しだそうとする熱意が必要です。
褒められると、子どもはもっと頑張ろうと意欲的になります。
「朝の身支度が自分でできたね」「お手伝いをしてくれてありがとう」
この様な些細なことに対しても、嬉しさがやる気と意欲へと変わるのです。
ここで一言注意したいのは、「褒める」と「おだてる」とは全く違うということです。
おだてる行為は、「子どもに好かれたい」「自分の思い通りに子どもを動かしたい」という打算が働いており、親のエゴから出るものです。
おだててばかりいると、自己中心的で協調性に欠けた子どもになりかねません。
希望
長い日数をかけて大事に育ててきた作物が、収穫の時を迎える秋。
日照りや長雨、ときには台風の進路に気をもみながら、丹精に育ててきた作物。
そのように手間隙かけて育てたものでも、ひとたび風が吹けば、それまでの苦労が一瞬にして水の泡となってしまうことがあります。この時ほど自然の前では人間がいかに小さく、無力な存在であるかを思い知らされることはありません。
お互いの人生でも、一生懸命努力しても、自分の力ではどうしようもないことがあります。そんな時はわが身の不運を嘆き、世を恨むことがあるかもしれません。
済んでしまったこと、どうにもならないことを思い煩っていてもことは進展しません。
とにかく一歩を踏み出すことです。何度つまずき窮地に立たされても、希望を失わず、そのつど次の一歩を踏み出すことが必要です。
そうすることで新たな道が開け、自分を一回りも二回りも成長させることができます。
人生の途上で出遭う苦難や挫折、それらを乗り越えさせるのは、やはり前途に対する希望であると思います。
親は子どもにとっての社会活動のモデルに!
幼児期後期に、親がどんな日常生活を送っているかということが、子どもの「原初的価値観」の形成に関わってきます。
原初的価値観とは、例えば「話しを聴く時に相手を見る」「挨拶をしない人に不快感を覚える」と言った無意識の反応のことで、人間関係のもち方などの社会的行動の基礎となるものです。
この時期の子どもは、何でも大人の真似をします。
大人の真似をすることを通して自分の存在を確かめ、原初的価値観を形づくっているのです。子どもには、大人のやっていることが全て正しくて、大人から叱られることは悪いことと感じる特性があります。
したがって、子どもをしつけ、子どもに良き原初的価値観を持たせようとするならば、大人が行動によって示すことが何よりも大切なのです。
親として、身に付けてもらいたい行動を子どもの前で見せることが躾に繋がります。
毎日の挨拶、お礼を言うこと、食事のマナー、人間関係のもち方など全てにわたって、
親がしていることは皆良いことであり、親がしていないことは良くないことと子どもは思っています。
ところが、親は自分の行動が子どもの心に、これ程深く影響を及ぼしているとは気づかないまま、しつけようとしがちです。
例えば、悪いことをしたわが子を大きな声で怒鳴ったとしましょう。
大きな声で他人を怒鳴ることによって、他人を自分の支配下におけるということを学んでしまうのです。
また、「噓を言ってはいけませんよ」と子どもに言いつつ、親がわが子の前で言っていることと反対のことをしていると、「嘘は言わない」と言う本当の意味は伝わりません。
親は、常に子どもの社会的活動のモデルとなっていることを意識することが大切です。