私たち大人の責任とは?

 遂に人口減少時代に突入しました。少子化に歯止めがかからず、高齢化が進むばかりです。これからの日本を担う子どもたちは、大切な宝物なのです。
 しかし、今の若者の中には、ニートやフリーターが問題となっているように、社会や集団生活に馴染めないという人が、増えていることが気にかかります。

 なぜ、集団と馴染めない若者が増えたのでしょうか?
その原因は、色々と挙げられますが、現代の社会のあり方が反映していることは間違いないでしょう。核家族化が進み、一人っ子が普通となり、都市化に伴い地域とのつながりも薄くなりました。サラリーマン家庭が増加して、家業の減少したことも大きく影響しているでしょう。農業や商工業などの身近な労働の現場から、子どもたちが遠ざかってしまった結果として、人との交流が少なくなり、働くということを知らないまま大人になってしまったのかもしれません。そうすると、ニートの若者を責めるのはお門違い、大人が子どもたちに成長過程に応じて適切な環境を整えることの方が大事だと言えるでしょう。

 それでは大人のなすべきことは?
まずは、子どもが家族との生活をきちんと過ごすという基本を大事にすること、それとともに、様々な人との関わりを経験し、その楽しさを存分に味わうことができるようにすること。

 また、年齢に応じて働いたり、お手伝いをするなどして、働くことの大変さと共に、それを乗り越えたときの楽しさや達成感を味わえるようにすること。
このような場を大人が提供することなのです。
人とのつながりが密な時代は当たり前だったことを、今の時代は意識的に用意することが必要になってしまったと言えるかもしれません。

 もう一つの問題は、情報化といいながら、インターネットという仮想空間での情報が氾濫し、かえって自然の姿や生命の大切さに実感が持てなくなってしまった、という今の時代です。これもまた意識的に、自然との触れあいの場を提供することが大人の責任ではないでしょうか。

過保護と過干渉と過期待

 「子どもの望むことを望むだけしてあげましょう」と言うと、甘やかし過ぎと思われるかもしれません。でも、子どもは『抱っこして』『おんぶして』などとよく言います。
乳幼児期には、子どもが望むことを全部叶えたとしても過保護にはなりません。
子どもは精神的に満たされると、周囲の人を信頼するようになっていきます。
過保護に対して、あまり良くないのが過干渉です。
聞きなれない言葉ですが、皆さんも子どもに言っているかもしれません。

「それは危ない」「汚いから」「触らないで」など、つい口にしてしまいそうな言葉です。
これが多いことが、実は過干渉なのです。
干渉を多く受けてきた子どもは、意思や好奇心を阻害されるそうです。
「子どもは歩く好奇心だ」と思って下さい。
「ダメダメ」という言葉を使わなければ、「やる気」や「自主性」なども育ってくるはずです。