自主自立

あじさい

 ピイピイとせわしなく鳴きながら、巣からくちばしを突き出す雛たち。
親鳥が苦労をして集めてきた餌を争って食べている。
しかし、そのような雛も成長して巣立った後は、もう親には頼れない。
どんなに厳しくても、それぞれに工夫し、自力で生きていかなければならないのである。
それが生きとし生けるものの宿命なのかもしれない。

 基本的には人間もまたその宿命を負っている。
しかし、鳥のように親子関係が割り切れないためか、あるいは相互扶助の豊かな社会になっているためか、ともすると我々は他に甘え、他を当てにしがちなのではあるまいか。

 人間は無限の能力を持っています。けれどそれは、「誰かが何とかしてくれるだろう」と他を頼っている間は決して出てこない。
やはり、自分の頭で考え、自分の足で立とうとする時、初めて湧き出てくるのである。
生きている喜びもそこから生まれてくる。
巣立った鳥たちの行く末に思いを馳せながら、自らに甘えがないかどうかを省みたい。

環境が子どもを育てる

 子どもが育つためには環境が大きな役割を果たし、発達に適した環境を整えることで、「子どもが本来持っている成長の力を発展させていくことができる」と言う考えに基づいて保育に努めています。

 子どもは「ひとりでできるように手伝ってね」と叫んでいます。
これは、誰にも頼らず自分の力でできるように、大人に手伝ってもらいたいと言っている自立を願う子どもの言葉です。

 自立した子どもは、自分が主人公になって自由にのびのびした生活ができるようになり、周りの環境を吸収して豊かに成長します。自由を得た子どもは、自分で考え自分で判断し自分で行動できる本当の個性を持つことができるのです。そして、自立した個性的な子どもこそ、お友だちと社会と自然と共に生きることを願う人間に成長することでしょう。

 18世紀のフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは、「教育は教えるのではなく、子どもの自然の成長を助けることである」と主張しています。
自然な歩みに従って、ゆっくりと進められてきた「エミール」の教育論は、私どもの園が目指している保育に通じていると思います。