子どもが育ちにくい背景は何か、育てなければならない力は何か!

 現在、子どもたちを取り巻く状況は、決して良くはなっていません。
子どもたちの育ちの中で欠落しているもの、あるいは体験できなくなってきているものをきちっと見定め、それを補っていかないと、育ち損なっている心を抱かえたまま、子どもたちは大きくなってしまいます。

 保育園において、友だちとうまく遊べない、目と目が合わない、友だちとのやりとりや会話が成立しない、乱暴な行為をしてしまう、言葉が一方通行、という子どもが目立ってきています。
その場合、家でテレビ・ビデオ漬けになっていることが多くあります。
子どもたちがテレビ・ビデオとの関係をどう作っていくか、主体的に自分が見たいものは見るけれど、見たくないものはスイッチを切る、流されてくるものに対して「ノー」と言える力を子どもの中に育てておくことが大切だと思います。

 また、子どもたちはたくさん失敗をして、失敗から学んで成長していくものですが、子どもたちは失敗したくない、あるいは失敗するようなことには手をつけない子どもたちが増えてきています。
例えば、結果が残らない歌をうたうことや体を動かすことはするけれど、結果が残る絵を描くことや物を作ることをしない子どもが、少しずつ増えてきている気がします。
失敗できるチャンスを与え、「いくら失敗したっていいんだよ、失敗したって貴方という人間がダメになるわけではないんだ」というもっと深い信頼感を育ててやることも必要だと思います。

 今の子どもたちは、保育園を含めた学校での体験がほとんどを占めています。
そして、学校での先生と生徒の人間関係、家での親と子という人間関係以外の人間関係が非常に希薄になってきました。
子どもを心配している人たちのネットワークを子どもたちの周りに作っていき、子どもたちは「それをうるさいな」と思いながらも、それに守られているという安心感が持てる環境が大切です。
人との関わりを面倒くさいとか、煩わしいとか感じるのではなく、「結構気持ちいいよね」と感じ取れる子どもたちに育てて頂きたいと思います。

 私たちは子どもたちに安易に言葉をかけていますが、子どもたちはその言葉の中から人生はどういうふうに生きていくべきなのか、人にはどう関わっていくべきなのかを学んでいきます。
時として、私自身、子どもからの投げかけに対して、一つひとつ自分を振り返りながらしか、子育てはできないなと思う時があります。
私たちの失敗を教えてくれるのは子どもです。
うまくいかない時に、「子どもが私たちに何を教えてくれているのだろうか」と振り返って考える心のゆとりも必要なのかも知れません。