子どもたちが、砂場で夢中になって作る泥だんご。
最初は無邪気な砂いじりが、気持ちを込めて丸めていくと、不思議なことに少しの工夫でより丸くなっていく。
そして、水分と砂を加え表面を磨いていけば、泥だんごはほぼ球体となり、かつ光沢を帯びるまでになる。
初めから上手に出来る訳ではない。
割れることもしばしばだから、壊れるはかなさ、失敗する悔しさも自然に学ぶ。
それでも自分だけの宝物を作るのに、子どもたちは一層夢中になっていく。
泥と砂さえあれば、ワクワク出来る子どもの集中力のなんと素晴らしいことか。
いや、かつては誰もがそのような経験をしてきた。
今、心配なのは大人のほうかもしれない。目標が沢山在り過ぎて、ワクワク出来ない人が多くいる。責任から逃れ、失敗したくない気持ちもよく分かる。
けれども、今こそ泥だんご作りの極意を思い出すべきではないだろうか。
大事なのは無心になること。泥だんごを作るように、頑張れる自分を信じながら、無邪気に挑戦を続けていきたいものである。
子どもには幸せな人生を歩んでもらいたい
この言葉は、全てのお母さんの願いです。
それならば、まずお母さんが幸せになりましょう。肩の力を抜いて、楽になりましょう。
育児は、お母さんが気負ったり、力んだり、眉間にしわを寄せたりしないほうがうまくいきます。この世に誰一人「完璧な人間」がいないように、完璧なお母さんなど現実の世界にいるわけがないのです。
子どもは、幸せな大人に向かって育っていく力を持って生まれてきます。
お母さんは、その力が健やかに発揮できるように、お子さんを助けてあげるだけでいいのです。
モンテッソーリ教育といえば、ピンクタワーに代表される「教具」が知られていますが、「モンテッソーリ = 教具」ではありません。
大人が子どもをどう見るか、どう助けるか。その見方、助け方こそがモンテッソーリ教育の本質です。
その考え方をご理解頂ければ、子どもの傍にいることが楽しくなります。
そうすると、そんな大人の傍にいる子どもも楽しくなります。
お母さんに、笑顔で育児を楽しんでもらいたい。
お母さんに、お子さんと明るく穏やかな時間を過ごしてもらいたい。
そしてお子さんには、愛と笑顔に満たされた空気を吸って育ってもらいたい。
これが、私ども社会福祉法人 「志生会の願い」です。
言霊(ことだま)
良い言葉を受けた水は、凍ると美しい結晶になるそうです。
反対に罵声を浴びた水は、結晶化しないとも・・・
無機の水分子構造さえも変える力が、言葉に秘められているとは。
古代人が、「言霊」と呼んだのは、万人がその力を知っていたからかもしれません。
現代人は高度文明と引き替えに、何かを失いどこかが麻痺しているのかもしれません。
少し昔に戻ってゆっくり進めば、良い言葉を選んで語れば・・・
優しさ・ゆとり・感謝が生まれ、荒ぶる心や社会が落ち着くように思います。