行事を通して子どもの成長を感じた一日

 家族の絆、人と人の繋がり、手と手のぬくもり・・・
平凡な毎日の暮らしの有難さを感じながら、
命ある我々が次の世代の子どもたちに残していかなければならない責任、
私たち大人が果たさなければならない役割、
戦争のない、平和な社会が永遠と続くことを願っています。
生きているという実感、笑顔ある家族が傍にいることの幸せを少しでも感じ、「明日からの元気の源」として運動会を楽しんで頂けたと思います。

子どもの目を見ていますか!

 自分の声や表情に周囲の人が反応する。そんな体験を積み重ねて、子どもは人との関わり方を学び、心が豊かに育っていくのです。
 ある小児科の医者が、授乳している時でも子どもの目を見ない母親が増えたと嘆いていました。
私たち大人は、慌しく日々の生活を送っています。
つい家事をしながら、テレビを見ながら、新聞を見ながら、・・・・・ながら、子どもと会話を交わすことはないでしょうか。
今、他人とうまくコミュニケーションがとれず、社会に出て行けない若者が増えています。この問題は、幼児期から根を張っているのかもしれません。
 子どもの目を見て、「おはよう」「いってらっしゃい」「保育園は楽しかった」、このような会話が交わせる家庭にしたいですね。

しっかり抱いて、下におろして、歩かせる

 子どもは、起居をともにする一番信頼できる大人に甘え、依存し、やがて反抗期を通して自立していきます。親に甘え、依存し、反抗することは、子どもの成長に不可欠なプロセスなのです。このことを、日本人は「しっかり抱いて、下におろして、歩かせる」という言葉で語り継いできました。
この格言は、子どもの発達段階に応じた親の関わり方の本質を端的についています。
 3歳までは、母親との安定した感覚的・心理的結びつきが大切です。
「しっかり抱いて」とは、親に甘えて依存するという、母子の「愛着」形成の重要性を表しています。「愛着」の次に必要なのは、「下におろして、歩かせる」、すなわち愛着からの「分離」です。
「愛着」が母性原理であるとすれば、「分離」は父性原理ということです。母性原理は「包み込む」はたらきであり、父性原理は「切る」はたらきと言い換えても良いでしょう。
あたたかく守られた場所から出て、自分の力で歩いていくためには、母性原理の「愛着」を断ち切る必要があるのです。